広島、長崎への原爆投下

1945年8月6日、アメリカ軍によって広島市に原子爆弾が投下されました。

その3日後の8月9日には長崎市に原子爆弾が投下され、

人類史上初実戦で核兵器が使用されました。



アメリカ政府は核兵器使用の理由を公式に

「戦争を早期に決着させるため」と説明していますが、

広島には「ウラン型」長崎には「プルトニウム型」と違うタイプの原子爆弾を使用しており

効果の違いを人体実験したと言われています。



第三の原子爆弾投下予定地は、京都、新潟、福岡、東京、などの諸説がありましたが、

8月14日に7発のパンプキン爆弾を愛知県に投下しており、

これは3発目の原子爆弾投下の訓練であったとされていて、

いずれも京都上空を経由していることから、3発目の原爆投下の標的は京都であったとの見方もされている。

なお、新潟では県知事の見解によって

新潟の中心から12キロ以上の疎開布告を出したため、

8月10日から17日頃まで無人状態になりました。



※パンプキン爆弾

 8月9日長崎に投下された原子爆弾フアットマンの模擬爆弾。



米国の原爆投下は非戦闘員を無差別に攻撃しており、明らかにハーグ陸戦条約に違反しています。



インドの法学者・裁判官パール判事は1952年11月に広島を訪問した際に、講演会で

「いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができていた、これを投下したところの国アメリカから、真実味のある心からの懺悔の言葉をいまだに聞いたことがない、連合国側の幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないためという言い分に対してはその代償として、罪のないところの老人や、子供や、婦人を、あるいは一般の平和的生活をいとなむ市民を、幾万人、幾十万人、殺してもいいというのだろうか、われわれはこうした手合と、ふたたび人道や平和について語り合いたくはない」として、極めて強く原爆投下を批判

「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」とのコメントを残している。

 

日本は世界で唯一戦争において原子爆弾を落された国でありますが、

不思議な事に反米感情にはあまり繋がっていません。

原爆投下の悲惨さを伝える書物が多く、アメリカへの直接的批判を記したものは少ない。

理由としては、占領軍による検閲が1945年9月19日から1949年10月末までの約4年間行なわれ、被害者体験談を語る事や原爆に関しての科学的、医学的情報公開が禁止されていた事も背景にあると言われています。

原爆投下が日本にもたらしたものは反米感情ではなく、

放射能に対する恐怖であり、

それは戦後暫らくの間、被爆者は放射能をうつす存在などと被爆者に対する偏見や差別が多くあったとされる事からも分かります。

戦後のGHQ政策の言論統制によって正しい原爆報道がされていなかったために、

現在もアメリカの加害責任が問われることもなくその責任の全てを日本軍に求め過去のものとする世論はやはり戦後のGHQ政策の言論統制によって形成されたものではないだろうか。















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